▲ノーベル平和賞の受賞者であった大韓民国の元大統領 金大中 氏が死去されました。韓国の歴代の大統領の中でも有名な政治家であって
さまざまな経歴などの持ち主です。特に「国との人間関係」といえる国交の回復などを力に入れ多大な功績を残しました。ご冥福をお祈りいたします。
金大中・韓国元大統領=ロイター
00年12月、オスロでノーベル平和賞の授賞式後、賞状とメダルを手にす金大中氏(右)=AP
00年6月13日、南北首脳会談のため平壌の順安空港に到着し、金正日総書記(左)の出迎えを受ける金大中氏=東亜日報提供
97年12月、大統領選で当選し、壇上で支持者らの声援にこたえる金大中氏=ソウルの国会議事堂内、堀英治撮影
80年8月、ソウルの陸軍本部大法廷であった軍事裁判で、光州事件の首謀者として裁かれる金大中氏(前列右から2人目)=東亜日報提供
1973年8月、東京都内のホテルから拉致された後にソウルの自宅近くで解放され、報道陣の質問に答える金大中氏=東亜日報提供
【ソウル=箱田哲也】韓国を代表する政治指導者で、南北朝鮮の和解・交流や日韓関係改善に尽くした金大中(キム・デジュン)元大統領が18日午後1時43分、多臓器不全などのため、入院先のソウル市内の病院で死去した。85歳だった。7月13日から肺炎のため入院生活を送っていた。60年代から民主化運動のリーダーとして軍事政権に抵抗し、73年には東京で拉致されて九死に一生を得ながら、97年に4度目の挑戦で大統領に当選。初の南北首脳会談を実現させるなど激動の生涯だった。
金大中氏は在任中、対話をもとに北朝鮮の体質変化を目指す「太陽(包容)政策」を掲げ、北朝鮮の金剛山観光など南北事業を次々と推進。00年6月、韓国大統領として初めて訪朝し、平壌で金正日(キム・ジョンイル)総書記と会談して南北共同宣言に署名した。00年12月には民主化運動と南北和解への貢献が評価され、韓国人として初のノーベル賞(平和賞)を受賞した。
対日関係の改善にも功績を残した。98年10月、大統領就任後初めて訪日。故小渕恵三首相との日韓首脳会談で「日韓パートナーシップ宣言」をまとめ、過去の歴史をふまえつつ未来を重視する「未来志向」の日韓関係を訴えた。
日本の植民統治下の24年に南西部・全羅南道の荷衣島で生まれ、61年5月に国会議員に初当選。直後の軍事クーデターで政権を握った朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の独裁に反対し、71年の大統領選に野党から立候補。妨害工作の中で朴大統領に95万票差まで迫った。
73年8月、東京のホテルから突然拉致され、殺されかかったが、5日後にソウルの自宅付近で解放された。79年10月の朴氏暗殺後、軍事クーデターで全斗煥(チョン・ドゥファン)氏が実権を掌握。80年5月の光州事件の首謀者として、内乱陰謀の罪で死刑判決を受けた。日米など国際社会の助命運動で減刑、釈放され、米国で事実上の亡命生活を送った。
85年2月に帰国し、87年6月の韓国の「民主化宣言」直後に公民権を回復。97年末の大統領選で政敵だった金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相と組んで与党候補を破り、98年2月から5年間務めた。
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金大中氏の生年をめぐっては「1925年」「26年」など諸説あるが、本人が生前、活動拠点としていた金大中平和センターは「24年1月6日生まれ」としている。
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2009/8/18/asahi.com
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