2009年11月01日

追悼 落語家・三遊亭円楽さん

有名な落語家の三遊亭円楽さんが亡くなられました。76歳でした。円楽さんは笑点でもかなり有名でしたが、落語家の中ではかなりテレビ出演が多かったような気がします。楽天市場や楽天・円天と呼び方が似ていますが円楽(えんらく)になります。
御冥福をお祈りします。

 

追悼 落語家・三遊亭円楽さん
2009.11.1 09:01
 
このニュースのトピックス:TV・ラジオ番組

】円楽が「笑点」降板笑顔で司会からの卒業を表明した三遊亭圓楽(下列中央)と、新加入の春風亭昇太(後列右端)ら大喜利メンバー=東京・水道橋の後楽園ホール 【撮影日:2006年04月】 ■「不器用さゆえの面白さが陽気な笑点を作り出した」桂歌丸さん
 落語家の三遊亭円楽さんが10月29日、肺がんのため76歳でこの世を去った。テレビの演芸番組「笑点」の放送開始当時からのメンバーで、円楽さんの後を継いで現在の司会を務める桂歌丸さん(73)は、突然の悲報を受けて思い出を語った。
                  ◇
 西に桂米朝さんが文化勲章をもらうというめでたいことがあったけれど、東は円楽さんがこういうことになっちゃって…。
 円楽さんとは昭和41年に始まった「笑点」での共演をきっかけに親しくなりました。「金曜夜席」という前身の番組も含めると、もう長いお付き合いです。
 あの番組は円楽さんが司会になって陽気になった。お互い落語家なので、間(ま)が分かる。こちらがうまく言葉を投げて、向こうもうまくキャッチしてくれました。

 面白さをもたらしたのはあの人の不器用さ。決して落語以外は器用ではない、その自然の不器用のおかしさがあの番組に出ていた。極端に言えば、3問あるのを2問で終わったり、問題を飛ばして読んだり、本番のさなかに寝ちゃったり。そういうおかしさから徐々に盛り上がり、にぎやかになった。円楽さんがあの番組を興したんです。大変な功労者です。
番組の司会を引き継ぎましたが、そのスタイルは変えていません。作為的に変えようとすると失敗する。自然に変わっていくのを待つことです。私には私の、円楽さんには円楽さんの間がありますから。

 でも円楽さんのときよりさらに陽気になりましたねって、ずいぶん言われるんです。回答者が円楽さんのときは遠慮があったんだと思いますね。私にはそれほど…。そんな意味でも硬さがほぐれたと思うんです。
 とにかく落語界に大きな足跡を残した人でした。(三遊亭)円生師匠のご一門で、人情噺(ばなし)のお手本のような人。円生亡き後の円楽。そんな人情噺の雄が亡くなってしまった。姿や声は映像などで残りますが、あくまで絵であり、声ですから。
 まだまだ教わりたいことはたくさんありました。円楽さんもいろいろとわれわれからヒントを得て、ご自分なりにこれからも落語をやりたかったと思う。それができなくなっちゃった。

 円楽さん、長い間お疲れさまでした。これからの落語界、われわれがやっている番組、そしてご一門を見守ってください。でも、本当に本当に残念です。(談)
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/091101/tnr0911010901006-n2.htm

posted by スタッフ at 14:48| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース(芸能人・おくやみ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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